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日本放鷹協会
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はじめに
諏訪流放鷹術第十六代鷹師、花見薫。
その花見に師事した室伏三喜男らにより日本放鷹協会は昭和五八年に設立されました。


昭和六〇年には、花見を会長に迎え、会の主旨にご賛同下さった作家のC.W.ニコル氏を代表顧問に、日本画家の上村淳之氏を顧問に、元上野動物園園長の中川志郎氏と、元全日本狩猟倶楽部副会長の松本貞輔氏を名誉会員にそれぞれお迎えし、体制を整えました。



諏訪流第十六代鷹師
 花見薫氏

日本放鷹協会々員の皆様へ

日本放鷹協会々長 室伏三喜男

此のたび日本放鷹協会々長という大役を仰せつかる事になりました。

日本の鷹狩りは千七百年近い歴史と伝統を持ち古来より文学や絵画などに現れ、無類の鷹狩り好きであった徳川家康公が開いた江戸時代にあっては治政に於いても少なからぬ影響を与え、将軍家と朝廷また大名家とを結ぶ上でも重要な役割を果たしていました。
しかし能や茶の湯などと違いあまりにも一部の特権階級の中だけで行われてきた為に、一般の人々には理解される機会がないまま今日に至りました。

時代は自然保護という名の元にそれに反するとして一部の保護論者がマスコミをつかい、大々的に鷹狩り禁止を社会に働きかけていました。
そんな中で日本放鷹協会は元宮内庁埼玉鴨場長・諏訪流鷹師 花見薫先生を会長に、先生に師事し鷹匠と認められた田籠氏、篠崎氏と私の3名をもって1983年(昭和58年)に発足、活動してきました。

私と鷹との関わりは「鷹を自分の手で繁殖させてみたい」という漠然とした想いから始まりました。それと同時に鷹を飼い馴らして人と共に狩をする鷹匠という存在とその技術に興味を持つようになりました。
16・17歳の頃、思い起こせば今から35年程前のこととなってしまいました。
春休み、夏休みといえばアルバイトをして輸入業者から鷹を買うということで飼い始めた鷹ですが、適切な師も無く10年という月日を経ても鷹を飛ばすのはおろか満足に連れて歩くことさえままならない(当時はみな網懸の鳥)というありさまでいつ「鷹」を止めるか、そのタイミングを自問している日々でした。

そんな折、花見 薫先生との出会いがありました。これは田籠氏(前放鷹協会会長)の呼びかけによるものでそのことについては今でも感謝しています。
先生から伺う話のひとつひとつはまさに別世界、異次元の話のようでした。
先生のご教示はひとつひとつが的確で目から鱗が落ちるとはこのことでした。
宮内庁鴨場長などという肩書きを全く感じさせない気さくなお人柄で、私の質問のひとつひとつに実に誠実丁寧にお答えくださいました。

自分を大きく見せる必要もなく、何を隠すわけでも、もったい、をつけるわけでもなくお話しする姿には、自分がやってきたことに対するプロとしての自身と誇りが感じられ、そのお人柄に深い感銘を受けました。
五里霧中の中でもがいていた私は一つの光明を見いだした思いでした。表現は悪いのですが「だまされたつもりでもう一度だけやってみよう」。

夜間の鷹部屋の中は正に漆黒の闇。その闇の中、先生のお言葉を一つ一つかみ締めるように訓練をすすめました。訓練の成果を見ていただこう。我々3名の弟子の呼びかけに先生は千葉県からわざわざ東京のはずれ、五日市までおいでくださいました。
据え方から始まりいろいろとご教示いただいた最後に「振り鳩」を行いました。他の2名の鷹が鳩に向かわずにそれて遠くに飛んで行ってしまった(後に据えあがる)中で、私の鷹は振り上げられた鳩をみごとに空中で攫いました。
その年の猟期も終わろうという2月3日、田籠・篠崎両氏の勢子により藪から出たコジュケイに迷うことなくスタートをきった鷹と私は始めての獲物を手にすることができました。
同時にこれは花見先生に教示を受けた我々にとっても初めての獲物となりました。後年皆がこれら基本技を体得して実猟ができるようになったのを機に会は発足されました。

「御幸野」と命名されたその弟(雌)鷹は網懸の塒鷹で最も仕込みの難しい鷹といえます。
その鷹を仕込み獲物が獲れたということは自分にとって大きな自信となりました。
また獲物を獲れた喜び以上に花見先生、その師匠の小林宇太郎鷹師に至る計り知れない年月、これを伝えてきた人達の存在に思いを馳せ感謝せずにはいられませんでした。
伝統や文化等には全く興味が無かった自分ですが伝統が培った奥深い力と重さを、身をもって体験したことによってそのすばらしさと共にそれを伝えることの意味や重要性を深く感じるようになりました。
鷹狩りを取り巻く社会情勢は厳しくいつ出来なくなってしまうかという状況だからこそ真の姿を語り理解を広めよう、少なくとも一部の誤った情報でもって歴史的文化遺産である鷹狩りが、真の姿が伝えられることがないまま消滅するということがあってはならない、ということで発足し活動してきたのが日本放鷹協会でした。

このたびの前会長退任の事態を受け名誉会長徳川康久様にお会いして事情説明と会長就任のご報告をさせていただきました。
徳川様には花見先生との約束の基に、引き続き日本放鷹協会を応援くださるという心強い御言葉を頂きました。
同様に花見先生のご遺族様にご挨拶に伺った折に「父の意志を受けた日本放鷹協会に今後もしっかりやっていってもらいたい」という誠に有難い励ましの御言葉を頂きました。
また其の時に生前花見先生が宮内省鷹匠のプライドを持ち、鷹を扱う上に於いていかに厳しい姿勢でおられたか、あるエピソードを伺うことができ改めて身の引き締まる思いをしました。
鷹狩りをゲームとして楽しむのであれば放鷹協会会員である必要はありません。
花見先生が体得された領域は「我々素人鷹匠」が及びも付かない世界ではありますが、日本放鷹協会会員の皆様には千七百年近い年月を経て花見先生により伝えられた、諏訪流鷹匠の技術と理念を受け継ぎ後世に伝える橋渡し役を担う志を持つ人、またそれを自分の立場で支えようという意志のある人であってほしいと思います。
また会はそういう皆さんを支えていく会でなければならないと思います。
そのような会になるよう皆様の協力を得ながら、実現に向けて努力してまいりたいと思います。
至らぬところも多々あろうかと思いますが、尚いっそうのご支援、ご協力をお願いさせて頂くとともに会長就任の挨拶とさせて頂きます。

2007/09/15

1985年(昭和60)頃、協会発足当時の室伏
(撮影・福田周平)

花見先生の指導を受ける室伏と御幸野

さらなる活動を目指すため、平成13年8月3日に認可を受け、同月13日に登記を行い、特定非営利法人(NPO法人)として改めて出発いたしました。
日本放鷹協会の東京都指定NPO番号は 1253です。
NPO法人一覧へのリンクです。



そして現在、日本放鷹協会では、花見及び認定された鷹匠たちを中心に、

 1 伝統文化放鷹技術後継者の育成。

 2 放鷹技術を活かして希少動物猛禽類の保護育成リハビリ等。

 3 人と猛禽類の歴史、文化の研究。

 4 技術や知識を活かして時代の要請に対応する全ての文化事業。

 の四つを柱に活動を行っています。



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名称について

 私どもは1983年に任意団体として当協会を設立した当初より正式名称として「日本放鷹協会」を使用しております。
 また、「The」「'」の有無など多少の表記の変更はありますが、1990年(頃)より、英文名称として 「The Japanese Falconers' Association」を、英文略称として「JFA」また「J.F.A.」を使用しております。
 1991年より、NAFAの会員となっておりますが、そこでも、上記英文名称および略称が使用され ております。
 2001年8月3日に認証、同月13日に登記を行い、NPO法人となって現在にいたっておりますが、 法人としての正式名称は「特定非営利活動法人 日本放鷹協会」、英文名称「The Japanese Falconers' Association」、 英略称「JFA.」となっております。
 なお、私ども以外に、「日本鷹匠協会」、英文名称「The Japan Falconers Association」、英略称「JFA」 または「J=F=A」さんという団体がありますが、当協会との組織上の関連はありません。誤解や混同を避けるために お知らせいたします。

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組織図

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